多摩丘陵の案山子その3

MICHIYA2005-09-26

お題は「女王の教室」。この案山子をよっく見たら頭がビニールで出来ている様だ。冷たい表情の教師、阿久津真矢(天海祐希)の雰囲気を出そうと考えたのかな。最初は普通にこういう人いるなあとしか思っただけだった。手ぬぐいのほっかむりでかろうじて案山子と前に書いたが、正しく言うと、手ぬぐい(布地)に顔(定番はへのへのもへじ)を書くと案山子っぽくなるのだ。布地の皮膚に出来損ない(へのへのもへじ)の顔、というのが面白く、そこにある種の呪術的なものを感じさせる。世の中にはリアルドールっちゅうものもあるがリアルだけではつまらない。ものすごくリアルな人形の目の中を覗いたら機械が見えた、なんて程度でもまったく面白くない。なんていうのか、救いのない出来損ないの部分がないと面白くない。というのか、まったくもってウソというか、似せている別物でなくてはいけない、といえばいいのか。古今東西、案山子が田んぼに立つ理由は、その姿で鳥を追い払っているわけではなく、人の代わりでもない、つまり、機能はない。役立たずである。それに生贄呪術とか、恵みの神が降臨してくるとか言うほどのものでもないような気がする。形を人に似せているのだけど、まったくもって出来損ないで、中は空っぽ、大した神や精霊も宿りそうはなく、本当に役立たずな存在。そういう存在は、容赦の無い、厳しい自然に追われる日常の生活には必要なもの、回りくどかったが、よーするに遊びというものだと思う。