散歩


下宿人さんが映画のタダチケットを手に入れたので、夜9時頃六本木ヒルズへ出かけていった。夕食をまだ済ませていないのでお腹を減らし、強いビル風に煽られながらフラフラと映画館の受付へ辿りついた。さっきまで仕事場でパソコンと睨めっこしていたお陰か、年のせいか目が霞んで掲示板の映画タイトルが読めない。この時点で観る気がもうほとんど失せかかっていた。そして、この身体的状況を打破するような魅力的作品もなかった。ここはとりあえず何か食べて、落ち着いたら見る気も起きるだろう。しかしここは、不幸にして六本木ヒルズ。場所代と見栄代がタップリトッピングされた腹を冷やす食べ物しかない。5階のレストランを数軒覗いているうちに、ヴィコのパスタが食べたくなってきた。ほうれん草を練りこんだパスタにイカとチーズのソース。あれ美味かったなー。武蔵小山に戻りたくなったなーと、もはや遭難、行き倒れ状態。思考力ゼロのまま目に入った韓国料理屋で席に着く。後ろの席では大きな声で「ホリエモンがサー」と熱弁している客がいる。嫌な雰囲気だなーと思いながらメニューを見るが特に食べたいものはなかった。ビールとピビン麺、豆腐チゲとピビンバを注文した。それらを食すと、とりあえず動く気力は湧いてきたが、ヒルズから早く移動したい気持ちは増加するばかり、せっかくタダ券もらってきた下宿人さんには悪いが帰ることにした。下宿人さんもここは居心地が悪いらしく、提案に賛同してくれた。店を出て廊下を歩いているとオフィースの入り口があった。そうか、ここは森ビルなんだ。本質は事務所ビルなんだ。レストランはそれに付随するものだ。考えてみなくとも当たり前のことである。僕らはよそ者なのだ。もっとも新宿副都心の高層ビルだって同じだよな。一応表向きは、新しい町ができました、皆さんどうぞおいで下さい。と言わなきゃならんが、そこには明らかに利用者を選別して排除する設定がある。それが居心地の悪さというわけさ。トイレに行くと洗面所でうわ言を繰り返している若者がいた。明らかに精神を病んでいるようだ。下階へ降りるべくエスカレーターへ行くと、脇のベンチでコンビニ弁当を頬張りながら一点をジーッと見つめている若者もいた。さっきの韓国料理屋の客といい、このビルを訪れる人々は何か熱にうなされているようだ。早く立ち去った方が賢明だ。ビルを出て空を見ると東京タワーの右にちょっとだけ欠けた月がビルの明かりに負けないで輝いていた。

とりあえず麻布十番まで歩いて行こうとうことになりヒルズを後にした。(ところでヒルズってネーミング稚拙だよな。商業戦略上のネーミングで、稚拙さも演出のうちかも知んないけどなんか狂った感じがする。稚拙に狂った感じを意図的に感じさせているのも戦略かも知れないがそれは何処にむかっているのだろうか?何処にも向かわないカオスのようなものの創出を狙っているのなら、それはかなり成功したのかも知れないが、この上なく不毛だ。不毛でしょ!ケラケラケラ!ムキになっているやつらが集まってきてエネルギー注ぎ込んで結果不毛なんだよ。それが本質なんだよ。って金に全てが隷属した瞬間だ。というのは言いすぎか)今夜は僻みパワー全開。とにかくヒルズって言葉に異常反応。途中、青山ブックセンターに寄った。本屋は楽しいな。レジのそばで東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編という本を立ち読み。これ面白い。思わず購入。評論家じゃなく、当の音楽家が書いている本は何でも面白いよな。それから、ぼくの趣味のアウトドア関係の本を探したが、ここにはほとんどなかった。青山ブックセンターとアウトドア関係は、この上なく相性が悪いのだろう。そんな感想を持ちながら本屋を出て、六本木通りを歩いて行った。

道路からロアビルの半地下で沢山の人(所謂外人、日本人も含む)が立食パーティをしているのを見ながら右折して鳥居坂を下る。お洒落なビルの奥に皮膚科の病院があって、その屋根越しに東京タワーが見える。東洋英和の前まで来た。東洋英和は相変わらず修道院のような雰囲気だ。(それは当たり前か)下宿人さんとぼくは同級生なのだが、同じ同級生が東洋英和に進学した。その東洋英和に進学した人と親しい人が下宿人さんと親しかった。回りくどいがよーするに目黒本町周辺のガキンチョの一人が東洋英和に通学したって事だが、それを我が事のように自慢げに語る同級生がいたって言う話なのだが・・・その東洋英和の真向かいが100円パーキングになっていて、その先に六本木ヒルズが聳え立つ。100円パーキングを挟んで選択された象徴としての建物が向き合っているのだなあと非選択民がスネながらカメラを構えたら通りかかったカップルに鼻で笑われてしまった。

鳥居坂を降りる頃には僻み根性も潜み、焼き鳥屋でも入ろうかと商店街をウロウロしたが、結局麻布十番から南北線武蔵小山に帰ったのだった。