駄菓子


これ何本入りだったかな。透明のビニール袋にまとめて入っていて、1本10円位の値段だった。30本は入っていたと思う。長さ15センチ程でチョコでコーティングされた仄かに甘いおふである。どう見ても駄菓子であるが、入っていた袋には、チョコの美味しさを知って頂くためにこの菓子を作りましたと白い字で書いてあった。高級チョコレートで溢れかえっている中、これを食べてチョコの美味しさに目覚める人は今は多分居ないよなと思いながら口に運んだ。・・・続
作り話もイイカゲンにしないとイカン、又は病的思い込みというか。捨てたと思っていた袋があったので、見てみると、「おいしいチョコをお手軽な価格で作りたての味をお客様のお手元まで!」と書いてあったのだ。「作りたての味」を「美味しさを知っていただく」と読み替えたのだが、こんなこと(勝手な読み替え)は今に始まったわけではない。中一の国語の時間、熟語を席の順で読み取りさせられた時、席順を数えていくと自分の番は「豆腐」であった。順番を待つうちにぼくの脳は夢想のスイッチが入り、大豆加工品の数々を連想していた。自分の番が来た時、ぼくは堂々と確信をもって「ナットウ」と答えていた。もちろんドッとウケた。(それ以来ぼくとしては、妄想は別次元の真実にワープするチャンスを与えてくれる。と妄想に輪を掛けた理屈をつけて勝手に納得しているのだが、それって一歩間違えるとヤバイな。)
話を駄菓子に戻す。子供時分(昭和40年代)駄菓子屋へ10円玉を握り締めて行った。手を開くと10円玉は汗ばんでいた。まず、おふを5円で買う。店の外のベンチに座っておふをかじりながら、次に何を買うか考える。それがとても楽しかった。お米を揚げてボール状にしたものも大好きだったが、それは10円か12円だったと思う。しかし、それを買うと他に何も買えなくなるのが寂しかった。ある時100円を手にして、駄菓子屋に行ったことがある。道すがら、これで何を買うか考えると、嬉しくて身悶えた。おふだけでも20本買えるのだ。20本抱えて立つ己が姿を想像してニンマリした。それに20本も買ったら、あの容器が空になる。それって買占めだ。お米のボールも8個は買える。いつも1個しか買えないので我慢していたものが8個も買えるのだ。それを抱えて立つ己が姿をまた想像したが、何かとてつもなくイケナイことなのでは無いかと思った。つまりこの時の100円玉は、ぼくを禁断の行為に導く魔力を持っていた。お金を沢山持つってスゲー興奮するんだってその時初めて感じたのかも知れない。

それから、こんな大金を手にして乗り込んでいく自分を駄菓子屋のおばちゃんはどう思うのかもちょっと心配した。100円玉は汗まみれになって手のひらに益々食い込んでいき、手もしびれてきた。駄菓子屋に着くまでに手がもたないかと思うとどうしたもんだが困ったが、ズボンのポケットに入れると無くなってしまうので(この頃半ズボンのポケットはなぜか大抵破れていた。)手で持ち替えるしかないのだが、持ち替えた瞬間に落としてしまったらどうしようかと思ったりもして、だんだん息苦しくすらなってきた。金を握りしめるってこういうことなのね。って感じたのだ。結局のところ、その時、何を買ったかは覚えていない。色々と買っただろうが、買う前の興奮が激しすぎて、その後の記憶は無くなっている。
今、32本入りの駄菓子を前にしてぼくはちっとも興奮しない。それは駄菓子屋のおばちゃんが一本づつ手渡してくれることが、今は得がたいとても貴重な事であったというわけである。